海辺、海岸沿いにお住まいの方、関係の有る方は暫くの間(4月26日から2ヶ月位の間)は注意してください。
今回は急ぎで投稿します。
私は普段あまり夢を見ません。
そんな私が26日早朝、夢を見ました。
夢の内容は、私自身が漁港の様な場所に居て水面の変化を気にしている所から始まります。
暫く見ていて水面に変動が有ったものの、その後下がったので「大丈夫かな…」と思っている所へ誰かが「水面も下がったし大丈夫だ。」と言って来ました。
「高い所へ逃げよう。」そう言うと「この前よりも大した事ない。」…そんなやり取りが有ったと思います。
私が「未だこれじゃあ分からないんじゃないかな…」と言うか言わないかのタイミングで沖に目を向けると、物凄く大きな波が向かって来るのが見えました。
「津波だ!でっかいのが来た!逃げろ!」と言いながら、心の中では「あ、もう間に合わないかな…、この前のよりも大きそうだし…」と、そう思いました。
でも、逃げろ!と言った後は必死に坂道を駆け上がっていました。
何故だか、直ぐ近くが坂道だったのです。
夢ってそう言うものですよね?
そして、坂道を駆け上がり、登り切った瞬間…後を振り返ると背後から来ていた人が誰も居なくなっていました。
と言うのが、夢の内容です。
勿論、只の夢…と言う可能性もあります。
私自身、只の杞憂であって欲しいと願っています。
ですが、直近では夜車で走っていて、辺りに何も無い真っ暗な所で私の父親が「ここで止めてくれ。ここで降りるから。」と言い「こんな所で?」と言うと「良いんだ良いんだ、ここで良いんだ。」と言って降りた後、反対方向の真っ暗な方へ歩きて行きました。
と言う夢を昨年の12月に見ました。
それを、年明け正月頃に「あ、お前に言っておくけど…」と夢で見た事を子供に話しました。
更に、1月中頃には久々に会った母親に…
それからひと月が過ぎた頃、母親から父親が「胃潰瘍で検査入院するんだって。」と聞きました。
3月に入った頃、母親から「胃癌だったから直ぐ手術だって…」と…、胃全摘との事。
今現在は以前の様に食べる事は出来ませんが、未だ生きています。
地震と津波の予知に関しては、北海道南西沖地震の時にJRの中で「地震が来る」と話していると、見ず知らずの年配の女性が「地震来るんですか?」と話し掛けてきました。
私「確実にではないけど、多分…来ます。」
「島に身内が居るんです。何時かは分かるんですか?」
私「明確ではないけど、多分早ければ一週間以内とか…遅い時は1ヶ月前後とかもありますけど…」
「じゃあ知らせた方が良いですよね?」
私「身内の方がいらっしゃるなら知らせてあげてください。信じるかどうかはご本人の考えですし…。あと、地震の後は物を探して持ち出す時間なんて有りませんよ?あっと言う間ですからね!家も何もかも無くなってしまいますから。財布だけ持って逃げて!って言ってあげてください。」
「分かりました。有難う御座います。伝えます。」
私「信じる者は救われる、です。」
「本当にそうですね、良かった。有難う御座いました。」
と、概ねこの様な会話をしました。
その後、一週間程でしょうか…
今、その方のお身内の方がどうして居られるのか…私は知り得ませんが、賢明な方のお身内ですので、、きっとご無事でなのでしょう。
そんな中で犠牲者が出た事は大変残念ですが、それが運命であり仕方の無い事なのかも知れません。
私は無力感に苛まれる弱い人間ですが、神様は「自分を信じない者は救えないでしょう?」と仰いました。
そして…私は全ての人を救いたがるからダメなんだと言われました。
「あなたを信じない者を何故救おうとする?況してや神も信じていない者達を救う事はない。」
でも、恐らく中には神様を信じていた人も居たでしょう。
ですが、人や世の中には運命も有れば宿命も有ります。
宿命は変えられませんが、運命は変えられます。
必要なのは後悔と反省、そして他者に対する慈愛です。
神を信じ「本当の神」に慈悲を願ってください。
今回、これを読んだ方は私の夢で見た事が外れる事を願ってください。
私もそう祈ってます。
そして、知ってください。
こんなご時世ですから、滅多矢鱈に不安を煽る者や甘言で楽観思想にさせ惑わす者など、様々なスピリチュアル的な団体や個人などが世間やネット上に湧き出していますが、その殆どが眉唾物だと言う事を。
猜疑心を煽るだけの者も甘言で惑わせ役目を放棄させる者も、只の愉快犯であり詐欺師です。
だから、騙されないでください。
曖昧な言い方や数打ちゃ当たるは予言ではありませんし、宗教の神は「神」ではありません。
宗教そのものが人間が作った出鱈目なんですから。
神は信仰の為に「戦争しろ」とは言いませんし、御布施の額で信仰心を測ったりもしません。
全ての人の魂は神の意識と繋がっています。
迷った時は自身の心の奥底に問うてみてください。
信じて願う者には慈悲が与えられます。